ネルソン・マンデラさんが「危篤ながら容態は安定している」と6月末時点でズマ大統領の発言があり、彼の95歳の誕生日7月18日を生きて迎えることが出来ました。7月17日にパン・ギムン事務総長は国連のネルソン・マンデラ国際デーにあたり、67分間の社会奉仕を呼びかけました。
南アフリカ共和国では入院中のプレトリアの病院付近で回復を願う市民があつまり、歌や踊りでお祝いをしました。また、この日は南アの国民が奉仕活動を行い、彼の孫たちも参加したと報道されました。
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ロベン島 |
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元政治犯の解説 |
昨年、私はケープタウンの沖合にあるロベン島を訪ねて、ネルソン・マンデラさんの27年間の牢獄生活の大半を過ごした獄舎を見学しました。そして、彼だけではない数多くの政治犯としての囚われ人だった方々から獄中生活の話を聞く機会を得ました。彼らの想像を絶する粘り強さとそのぶれない信念に感服しました。
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プレトリアのマンデラハウス① |
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プレトリアのマンデラハウス② |
また、私はプレトリアのマンデラ・ハウスやヘクターピーターソン博物館、ジョハネスブルグのアパルトヘイトミュージアム、リボーニアのリリースリーフ・ファーム、ダーバンの近くイナンダのオーランジ高校などを訪ねました。
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ネルソン・マンデラさんの初めての投票箱 |
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オーランジ高校の生徒たち |
虹の国としての南アフリカ共和国はネルソン・マンデラさんが全国民が参加した総選挙によって選ばれた大統領に就任したのが19年前ということですから、人々の記憶がまだ新しいということがあるのでしょうか、アパルトヘイトと戦った人々の記憶を懸命に残す取り組みがなされていました。それは単にネルソン・マンデラさんのみのことではなく、ANC(アフリカ民族会議)や反アパルトヘイトの人々の抵抗の足跡を残す試みです。これらの後世の人々の努力があってこそのネルソン・マンデラさんへの強烈な信頼が育まれていると思います。
翻って我が日本にこのように国民に愛される政治家ははたしているのでしょか?日本では第二次世界大戦以前の大日本帝国憲法や治安維持法などの下で命を懸けて戦争に反対した人々の足跡を残して来たでしょうか?日本という国が今、世界の中でどう生きていくべきなのか、立ち返るものは何なのか、私は日本国憲法がその題材の一つではないかと考えます。65歳の誕生日にあたり真面目に考えてみました。
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