昔私の父親が勤めていた駅舎 |
ゴルフツアーメンバーと名寄市民の交流会 |
私は6月末に北海道の名寄市を訪ねました。この街唯一ある名寄白樺カントリークラブに在京のメンバー約30人とともにゴルフツアーに訪れたのです。
人口は約3万人。四方を山に囲まれた盆地です。11月ー4月は雪がのこり、寒いときはマイナス30度以下になることもあり、7-8月はプラス30度を超えることもあります。つまり寒暖の差は60度にもなる自然条件の厳しいところです。
交流会は屋外でのジンギスカン料理 |
昔のクロバ-(雪印)牛乳工場址 |
そして、6月は概してさわやかな時期で木々の若芽が柔らかく周囲を包む季節です。この街は私が中学生、高校生の6年間を過ごした地方都市です。私の中では「ふるさと」との思いがあります。
ところが私が生まれたのは北海道の豊富町です。名寄市よりさらに北に位置して、稚内市の近くです。ここには4歳まで住んでいました。その後、名寄市のすぐ南側に位置する剣淵町に移り住みました。4歳から12歳までの9年間です。大学生活は札幌市で7年間を過ごしました。これらの北海道の街々はそれぞれに特色があるのですが、「ふるさと」を実感するのが中学・高校という多感な時代を過ごした街ということになるのでしょうか?冷静に考えると「ふるさと」はかなり主観的な勝手な想いということにもなりかねないところがありますネ。
いずれにしろこの名寄市は64歳の私にとって、近い親族は誰もすんでいない、昔住んでいた家も跡形もなくなってしまい、かろうじてかっての同級生たちが住んでいる街ということになります。それでも、ここを訪ねると懐かしさを覚え、気持ちが安らぎます。「ふるさと」って不思議な力を持っているものですね。
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