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2013-03-24

さよならケープタウン(Sayonara Cape Town)

サンセット
午後の海
本日は「藤原一也の南アフリカレポート」最終回です。明日、ケープタウン空港から家族の待つ日本へ帰ります。一年間の長きに渡りご愛読いただき誠にありがとうございました。定年退職後の日々を、敢えて全く見知らぬ土地で過ごすという冒険でしたが、無事に楽しく学び、遊ぶという自由の日々を満喫した生活でした。私として何か得ることがありましたので、今後に生かしていきたいと考えています。

月明かりの海
散歩道の草花
特に景観や食事などこれまでの私の既成概念を打ち破るいくつかの経験を積みましたので、あくまで個人の感想レベルの話題ですが引き続き、日本から一歩外へ出る機会を得て、チャレンジ精神を発揮していきたいと願っています。

夕暮れの散歩道
ケープタウン空港近くのタウンシップ


 こちらでは一日一万歩を目標に毎日の散歩を心がけました。幸い大きな病気はせずに、体重も横ばいで推移しました。日本でも散歩を継続しようとおもいます。
 
最後にケープタウン周辺だけでなく南アの都市周辺には必ずいってよいほど、旧黒人居住区などの住宅事情が極めて悪い地区がありまました。「虹の国」の理想を掲げてはいますが、厳しい貧富の格差があるのも南アの現実です。こうしたことにも継続して関心を寄せていきたいと考えています。

2013-03-23

南アフリカに感謝(Thank you South Africa)

アフリカペンギン
ボルダービーチのペンギンたち
藤原一也の南ア(ケープタウン)滞在も残り僅かになりました。引越し荷物もきれいさっぱりと運び去られて何か清々しい気持ちです。一年間の滞在でしたが、この地で経験した事柄は私には人生のプレゼントになりました。「百聞は一見にしかず」で外国だからこそ実感できることって実際にあるものですね。


身分証(ダーバンのクワムール博物館)
警官に身分証を示す(人形展示)
南アはアパルトヘイト時代にパス法によって黒人の身分証の所持が義務付けられていたのですが、1960年3月21日にシャープビルでこれに抗議中の人々が虐殺されました。1966年に3月21日を「国際人種差別撤廃デー」とする国連決議があり、南アでは1994年から「人権の日」となりました。



たまたま息子夫婦が南アでリサーチのために滞在中でしたので、この「人権の日」休日を利用して私には4回目の喜望峰ツアーを実施しました。快晴に恵まれチャップマンズ・ピーク・ドライブを経由し、ボルダービーチでアフリカンペンギンを観察しました。そしてこれまでは雨や強風に見舞われたケープポイントが見事に晴れあがって、素晴らしい眺めでした。いつもは灯台のあるルック・アウト・ポイントまでケーブルカーで行くのですが、初めて徒歩で登ってみました。足が疲れましたが、とても楽しかった。




 南アの歴史はヨーロッパ列強によるアフリカ大陸進出の歴史と不可分です。そしてここにはアパルトヘイトを乗り越えて、いわゆる「虹の国」を実現したネルソン・マンデラさんという不屈の人材とともに数多くの記憶に残る人々の肉声が記録され保存されています。これらの歴史に学ぶことは私にとって重要なことと思います。今後も南ア動向には注目していきたいと思います。








2013-03-19

インターナショナルハウス ケープタウン(International House Cape Town)

ダニカ先生
サビーナさん
外国で語学学校に通うことがこんなに楽しいものだとは知りませんでした。結果的に私は一つの語学学校に随分長くお世話になり、私にとっては三度目の修了証を受け取りました。昨年の4-6月と8-10月と本年の1-3月と年間を通じてのお付き合いとなりました。



マリアンさん
校長とクリストル先生
各国からの若いクラスメートには不思議な仲間と感じたことでしょうが、64歳の私にとっては毎日が新鮮な気持ちでした。ケープタウンで若者とともに英語を学べたことは私にとっての宝物です。インターナショナルハウスの皆さんに心から感謝します。



休憩時間
トルコのエッサンと日本のナオミさん
私は定年後の語学学校でしたので、特に資格などを求めてのことではなく、学ぶことが目的でした。多分、そのことが楽しさの源だったのではと思います。そして学校の雰囲気も生徒の自主性をサポートする役割に徹しているようで、心地良かったのです。ある授業の中で何十年ぶりにビートルズの曲を歌うということがありました。自分が子供の時代に戻ったようで楽しかった。是非、英語の勉強はこれからも続けたいと思っています。



2013-03-18

ヘレン リーバマン(Helen Lieberman)

リーバマンさんらのパンフレット
FNB
藤原一也の南アフリカレポートも残すところ1週間となってきました。帰国に向けての引っ越し準備を進めながらの報告になっています。先週末私はFNB(ファーストナショナルバンク)を訪ねてチャリティの振込を行いました。或るとき私はヘレンリーバマンさんという方の話をうかがう機会を得ました。


ユダヤ博物館
アパルトヘイト政策がこの国で行われていた時代から非白人地区に足を運び、貧しい彼らを支援する活動を息長く続けています。彼女の父親はリトアニアから南アに逃れてきたユダヤ系の白人であり、そしてリトアニアにいる親戚はかの地の杉原千畝記念館の責任者を務めているとのことでした。杉原千畝さんについてはこのレポートの「ユダヤ博物館とホロコスト博物館」でもふれました。何かしらの親近感を覚え、私の南ア経験への一つのお礼としてチャリティに応募させていただきました。




 南アに住んで思うことは貧しさや暴力が日常的なこととして起こる一方で、ネルソン・マンデラさんたちが反アパルトヘイトの運動を取組みながらついに「虹の国」を実現した1994年までについて記憶に残し、南アの子供たちが学ぶ機会を提供しようとしていることです。私自身がそのような施設を訪れることで、「南アの反アパルトヘイトの歴史を知りたい」と考えるきっかけを与えられました。このことについて心から感謝したいと思います。













2013-03-16

リボーニアのリイリイースリーフ(Liliesleaf Farm in Rivonia)

 リイリイスリーフ・ファーム
リボーニアトライアルは南アでとても大切な言葉です。ジョハネスバーグからN1をプレトリア(ツワネ)方面に向かうとすぐにリボーニア・ロードが交差しています。車でこの道を走りましたが、周辺は開発が進み、お洒落な街並みになっているところもありました。1963年というと50年前にあたりますが、この地域にあったLiliesleaf Farm(リイリイスリーフ・ファーム)は当時ジョハネスバーグの郊外でネルソン・マンデラさんらが秘密の隠れ家として使っていた場所です。有名なリボーニアトライアルの物語はここから始まっていると聞き、訪ねることにしました。



 リイリイスリーフの正面

観光案内書にはほとんど書かれないのですが、とても優れた施設です。私が訪ねた日は現職副大統領のモトランテさんがここに来ていました。リイリイス・リーフは解放の場
(a place of liberation)として、ビデオ解説が行われ、展示物も充実しています。



ブラム・フィッシャー
展示
リボーニアトライアルを理解するために、南アにおける当時の時代的な背景や、南アの人々の様々な立場からの発言や行動について知っておく必要があると思います。また、ここにはブラム・フィッシャーさんについての展示が数多くありました。



館外展示
私は時々考えるのですが、南アは1994年にアパルト・ヘイト後の初代大統領マンデラさんを選出してから17年目、日本は1945年の敗戦から68年目です。南アではアパルトヘイト時代の苦しかった頃のリーダー達への思いを懸命に残し、学ぼうとしているけれど日本でははたしてどうだろうか?ということです。

2013-03-15

アパルトヘイト・ミュージアム(Apartheid Museum)

アパルトヘイト・ミュージアム
アパルトヘイト・ミュージアム入口

ジョハネスブルグで是非とも訪ねたかったアパルトヘイト・ミュージアムに行きました。入り口が白人とそれ以外の人々と別れていたので、それ以外の人々側から入ってみました。想像していた以上に立派な建物で驚きました。



非白人専用駅
白人専用バー
館内の展示物を見ながら南アの歴史をも学べるようになっています。アパルトヘイト時代の迫害の証拠品やマンデラさんの解放後の演説ビデオ、ラグビーやフットボールの南ア代表が絡んだ名場面など多様に展示されていました。



洞窟壁画レプリカ
たくさんのバスが待機
さらに南アの先住民の洞窟絵もありました。私には何か非常にたくさんのものごとが詰め込まれているとの印象でした。集中がとても難しかったと思います。今も情報を整理しきれないままです。








 カメレオン?動物のカメレオンではない、人々がその場その場で適当に意見などを変えることなどでもない、まさに人種についてのことなのですね?





2013-03-14

ソウェト(マンデラ・ハウスとヘクターピータソン博物館)SOWETO(Mandela House & Hector Pieterson Memorial and Museum)

ソウェト内への入口付近
ソウェトの家並み
ジョバーグ(ヨハネスブルグ)は南ア随一の人口を有する都市です。経済的活気に満ちていて、南アを知るためにはなんとしても訪ねたい街の一つです。ただし、ケープタウンとは異なり一人歩きなどは危険なので決してしないようにとされています。



マンデラ・ハウスの見学者
マンデラ・ハウスの説明者
今回、ジョバーグの知り合いに頼んでソウェトを案内してもらいました。是非、訪ねたいと思っていたマンデラ・ハウスとヘクターピータソン博物館があります。ここは世界各国からの訪問者を受け入れて、周辺地区は整備が進み、土産物売りの行商者が数多く商売していました。


ヘクターピータソン博物館
たくさんの見学者
ジョバーグのソウェトはケープタウンのタウンシップなどとは大きく異なっていると感じます。地区の整備がかなり進捗しています。当日は金曜日でしたが、マンデラ・ハウスもヘクターピータソン博物館も見学のこどもたち(小学校~高校生)でいっぱいでした。



マンデラ・ハウスに残る銃痕
南アフリカ共和国ではアパルトヘイト時代の人々の記憶は、歴史となって文字から学ぶということだけでなく、その時代を知っている人々によって語り継がれています。とりわけ、博物館や記念館に小中学生の頃から訪ねて学んでいることはとても大切なことと思います。

2013-03-12

ナミビアのマリーンビッグファイブ(Marine Big 5 in Walvis Bay)

アザラシ
アザラシの群れ(オスは5頭のみ)
ナミビアは3月の夏の時期ともなると猛烈に暑く、40度Cにもなるのではと誰かに言われて暑さ対策をして訪問したのですが、港のあるワルヴィス・ベイは早朝には20度C程度で涼しいほどで驚きました。



ナミビア国旗と
ドルフィン
アザラシ、クジラ、ドルフィン、マンボウ、ウミガメのマリーンビッグファイブを求めて小型船で海に出ました。アザラシとドルフィンは見ましたが、クジラなどは季節が違ったようです。





船上にて
カキ
船上では食事を楽しむことが出来ました。ナミビアではカキの養殖が取組まれ、香港などに輸出されているようです。日本のカキに比較すると形が小ぶりで味も少し違っていましたが、とても美味しくいただきました。大西洋を流れる南極からの寒流がカキを育てるとの説明でした。


船上から
砂漠の国に来たはずがスワコップムントから車で30分ほどのワルヴィス・ベイでは海のビッグ5などを楽しめるなど新たな発見もあって大満足のナミビア小旅行でした。

2013-03-11

ストーンフラワーとスワコップムント(Stoneflower and Swakopmund)

ナミビアの案内人
ナミビアのスケルトン・コースト
ナミビア共和国のスワコップムントを訪ねました。ナミビアは南アフリカ共和国の北側に位置して、日本の2.2倍の広さの国土を有し、210万人が暮らしています。ナミブ、スケルトンコーストなどの広大な砂漠地帯を有しています。





ハンザホテル
ハンザホテルドアマン
残念ながら経済的な発展はこれからというところでしょうか?驚いたのは南アの紙幣や硬貨がそっくりそのままナミビアドルと等価で使えるということでした。それほどまでに南ア経済に依存しているということだと思います。




スワコップムント市内
南西アフリカ当時の通信塔跡
この国はドイツ、南アフリカの支配下にあった時代がそれぞれあり、訪れたスワコップムントの街にも様々な痕跡が残されていました。ドイツ植民地時代の面影を残す数多くの建物があります。また、南西アフリカ当時、南アが破壊したドイツとの通信塔跡が保存されています。

ストーンフラワー
ヴェルヴィチア
スワコップムントから車で海岸沿いのデユーン(砂山)を越え、さらに東側に移動すると岩石の砂漠に生きる不思議な植物たちに出会えました。ストーンフラワーや500年以上生きているというヴェルヴィチアなどです。この地でしぶとく生き抜く姿に感動を覚えました。