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2012-12-29

はるかなケープタウン(Cape Town, far from my home)

 「藤原一也の南アフリカレポート」はこの4週間休眠状態となっていました。今回、久々の書き込みです。想定外のことがいくつか重なってしまい、ブログへの書き込みが出来ないでいました。 

埼玉県川口市の我が家からのぞむ富士山
私は12月29日現在、10月30日からの一時帰国のまま日本に滞在中です。間もなく87歳になる私の母は9月に転倒して右手と右足を骨折しました。懸命のリハビリが奏効して10月末には病院から退院して、自宅での日常生活を復活させていたのですが、12月になって再び右足を骨折し、10日に再手術をしました。現在、再リハビリ中です。そのうえ別件の健康問題を抱えて、年明けの1月9日に3回目の外科手術を予定しています。母の年末年始は病院暮らしとなりました。

 こんな事情からケープタウンへの出発を延期し、母親の傍に居て、日本の自宅と母親の入院している病院の行き来で日々が過ぎていくといった状況です。母が高齢のこともあり、入院中の病院は医師から付き添いの家族へ病状、検査・治療方針などが丁寧に説明され、同意書等の記載が促されます。その他、行政への介護認定の届け出、地域包括支援センターとの連絡、住宅リフォームの相談などと忙しく、短期間に介護支援の方向を定める必要がありました。そのために私はとても気忙しく日本の師走を過ごしていました。

 さて、日本の総選挙を通じて、南アフリカのケープタウンがいかにも遠いと実感させる出来事がありました。私は2012年4月から一年間の滞在ビザを南ア政府から発行してもらっています。本来ならば先般の総選挙は12月16日までにケープタウンで在外選挙を行うはずでした。しかし、母の病気のためにそれが難しくなったため、12月3日時点で在外選挙を日本で行えるように南ア現地に申請しました。その手続きの結果、日本での投票が可能になったはずでした。
 
 ところが、私の在外選挙人証が手元に届いたのは総選挙の翌日12月17日のことでした。そのために残念ながら今回の選挙は私にとって初の棄権となってしまいました。改めてこのような大事な選挙で一票の権利を放棄せざるを得なかったことを反省しています。そして南アフリカ共和国の郵便事情も含めて日本との距離をしみじみ感じているところです。

 私が本年4月から完全フリーとなり9カ月が過ぎました。そのうち6か月をケープタウンで過ごして新しい経験をしてきました。一方、日本での3カ月は高齢者の自立した生活をなかなか実現できない日本社会の貧困を肌で感じる期間でした。予定していた2013年3月末までの海外滞在の継続のために、速やかに私の介護支援での方向付けを行う予定です。

 2012年中のこのブログにも様々な話題が登場しました。ご覧下さった方々へのお礼を心から申し上げます。そして2013年の出来るだけ早い時期からのレポート復活をお約束したいと思います。
 
 

 

1 件のコメント:

  1. 本当にいろいろご苦労さまでした。
    若い仲間とのケープタウンでの生活、日本での介護経験と貴重な1年だったと思います。
    新しい年のレポートを楽しみにしています。
    ところでネパールも遠い国です。現在1日12時間の停電ということで、HEENEPのウッタムさんへのメールが届いたのかどうか?
    西村代表が12月中旬に出したメールの返信がありません。
    これでは1月に関谷さんに手紙を持って行ってもらうことも連絡できないかも。あ!ピンヤさん手紙送ってくれましたか?

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